近世中期に上方(京都ならびに大坂)の四人の知識人は漢籍の読書抄記を残している。沢田一斎『奚疑斎蔵書』(国立国会図書館蔵)、奥田松斎『拙古堂日纂』(大阪府立中之島図書館蔵)、同『拙古堂雑抄』(国立国会図書館蔵)、都賀庭鐘『過目抄』(天理大学付属天理図書館蔵)、森川竹窓『古香斎筆記』(龍谷大学学術情報センター写字台文庫)である。本研究の目的はこの全百三十七册の調査研究である。 『拙古堂日纂』及び『拙古堂雑抄』においては、奥田松斎は読破した漢籍について、本文を抄出する以外に、さまざまな重要な情報、すなわち、書名、巻冊、著者、序者、舶載の年月、所蔵者などについて書き込みをしている。松斎の注記は、漢籍の書誌情報として、また、同時代の交流の証拠として、質的に重要な価値があり、本研究主題を考察する上で有益である。私は三年間の研究期間に多数の明清漢籍所蔵機関を訪問し、可能な限り、松斎らが読んで抄記した漢籍とわが国にもたらされた明版、清版諸版との照合を行った。 本報告書において、私はこの注記された情報を各冊ごとに整理した。この個々の情報は初めて紹介されるものである。その結果、近世中期において、予想を越えた多くの明清漢籍がわが国に伝来していることが判明した。松斎の書誌的注記によって、どのような漢籍のどのような板本が伝来したか、板本レベルのテキストとして把握することができ、今後の受容研究にはなはだ有益である。また、松斎、庭鐘竹窓のほか、木村蒹葭堂、岡白駒など当代の大坂学芸の人物たちの交流も具体的にあきらかになった。松斎らが上方人文社会において、果たした役割は大変大きなものであることが明らかになった。
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