柳澤家の古典学、中でも和歌における公家と武家の文化の接点を探った。 一つは、東京駒込の六義園の造園意図を追った。まず柳澤文庫蔵の『楽只堂年録』収載の「六義園記」及び、吉保作・自筆の巻子本「六義園記」の二本を翻刻。そこに語られる意図を探った。六義園の名は和歌の六義に基づくことは言われていたが、具体的に吉保が和歌の何に焦点を合わせ造園したのかを探ることができた。和歌の浦を初め、対岸の藤代峠一帯までもを射程距離に入れた大規模な庭園、それが六義園であることが明かになった。 二つは、大和郡山市社会教育課蔵の類題和歌集「続明題和歌集」についての調査研究。今まで学会で報告されていない一本かと思われる。吉保息吉里の編纂と思しい該本は、約七千首の和歌を春・夏・秋・冬・恋・雑に分類したかなり大部な典型的類題和歌集。霊元院と東山院を筆頭に、おもには当代の公家と武家の歌を収載する。江戸期における公家と武家の和歌文化の接点を探るに貴重な資料。今期の研究では、「春」と「詠者目録」の翻刻が終わったのみで、全貌を明かにするために研究の継続が必要である。
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