研究概要 |
この研究は,地方の人形浄瑠璃のかしらを資料として,人形浄瑠璃の発生と展開の問題を解き明かすことを目的としている。平成14年度までに「かしら」の遺存地全国約150箇所,「かしら」約4500点の調査を行い,人形の表現上重要な意味を持つと思われる「かしら」のうなづき形式の発展過程に関する仮説を提出している(拙稿「人形浄瑠璃の発生と展開に関する研究 平成12年度〜平成14年度科学研究費補助金(基盤研究(C)(2))研究成果報告書p1〜9参照)。引き続き平成15年度も地方の「かしら」調査を行い,資料を収集した。今年度得た「かしら」の調査結果によって,先の仮説はより確かなものになりつつあると思う。まず,今年度調査した山梨県甲府市諏訪神社の天津司舞に用いる人形は,人形操り発生期の人形の,特に構造と操り方を考える上で示唆を与えてくれる資料であった。また,人形の本質・発生期の問題を含むものに人形三番叟・人形式三番がある。人形式三番・人形三番叟の成立に関して,人形三番叟・人形式三番とは別に以前から宗教的な人形が既に存在していて,後になって能の式三番形式が取り入れられたのではないか、即ち,江戸時代初期と考えられていた人形三番叟・人形式三番の成立は,遡っても江戸時代後期ではないかという仮説を先に立てたが,この仮説に反するような事例はいまだ見当たらず、現調査段階では生きていると思う。この件については,平成15年度芸能学会研究大会(12月13日 於 国立劇場伝統芸能情報館)にて口頭発表を行った。更に,今年度調査した栃木県安蘇郡葛生町の吉沢家旧蔵の90点を超える「かしら」資料には,「エンバ棒式」(エンバ首)が多く,また一人遣い「かしら」のものと考えられる手も併せて残っていた。一人遣いからうなづき形式発生に至る過程を考える資料として有効な資料であった。今後もより多くの資料を収集し,仮説をより確実なものにしていきたい。
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