平成16年度は、ロングフェロー作品の大衆的受容を中心に研究をおこなった。 まずは、ロングフェローの詩句を引用したダイアリーなどの出版物を調べた。これらは、泡沫的な出版物のため、アカデミックな図書館には保管されていないものばかりである。そのため、マサチューセッツ州ケンブリッジとワシントンDCに出張し、ハーバード大学の貴重書館とワシントンの議会図書館の貴重書室を調査した。これらを調べると、ロングフェロー詩とその人気はこれらのephemeraeによって、いわば再生産されていたことが確認された。 さらに、メロディを付せられ大衆歌になったロングフェロー詩を研究するため、ケンブリッジのロングフェロー記念館で19世紀のシート・ミュージックを調査した。なかでもハッチンソン・ファミリーという、19世紀のアメリカ大衆音楽を代表するコーラス・グループが興味を惹いた。たとえばロングフェローの詩「いや高く」(1841)は、彼らの歌(1843)によって人気に火がついたと思われる。ロングフェロー詩の音楽化については、これからも研究を継続させる必要があるだろう。 なお、本研究の過程で、クラレンス・バディントン・ケランドという、今では忘れ去られてしまった大衆小説家に出会った。たしかにケランドが活躍したのは、20世紀の初頭であったが、彼は19世紀後半の価値観を備えた人物だった。たとえば、その雑誌連載小説「オペラハット」は、ロングフェローという名を与えられた主人公が、大衆文化と高尚文化の峻別に異議を唱える物語である。そこで、ロングフェローの大衆的受容の一端として、この小説とそれを踏まえたキャプラの映画『オペラハット』を比較対照し、ケランドとキャプラがそれぞれどのように詩人を受容していたのか考察した。
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