本研究の第一の目的はロングフェローのパロディを探ることだった。そのため本研究では、ロングフェロー詩のパロディを数多く集め、それらを分析することによって、それらがどのように原作を誇張・諧謔しているのか探った。じっさい多くのパロディストたちが、詩人の微妙な特徴を巧みにとらえていた。ただしベイヤード・テイラーなど、ロングフェローをあざける意図がないパロディストも多かった。このようなパロディストたちは、パロディを書くことによってロングフェローの秘訣を習得しようとしていたようだ。また、フィービー・ケアリーという女性詩人が興味をひいた。通説によれば、パロディは原作を崩壊させることが目的であって、それ以外の主張はないとされてきたが、ケアリーの場合、むしろ自己主張するためにパロディが使われていた。ケアリーは、女性たちは現実に直面して、戦略的に生きるべきだと説いていたのである。 本研究の本研究の第二の目的は、ロングフェローの偶像化を明らかにすることだった。そのため、ロングフェロー像を素材にした商品を調査し、19世紀における大衆詩人の位置と役割について考察した。とくに、ロングフェローの詩句を引用したダイアリーなどの出版物や、ロングフェロー詩にメロディを付せた大衆歌など、きわめて泡沫的は資料をアメリカで調査したところ、ロングフェロー詩とその人気はこれらのephemeraeによって、いわば再生産されていたことが確認された。なお、本研究の過程で、クラレンス・バディントン・ケランドという、今では顧みられない大衆小説家に出会った。ロングフェローという名前の主人公が活躍する彼の小説「オペラハット」とそれを踏まえたキャプラの映画を比較すると、ケランドは、大衆文化と高尚文化とに階層化されていない、19世紀的な一元文化を理想としていたことが明らかになった。
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