研究概要 |
本計画は,英独仏の研究ばかりを追いがちなわが国の西洋古典学界にあって,いまだ未知とも言うべき東欧諸国における古典学の現況を調査把握する目的で立案された.今年度は計3度の東欧圏調査旅行を企画遂行し,ハンガリーを中心にスロヴァキア,ポーランドそしてチェコの現状を視察した.まず北部ラテン文字スラヴ文化圏(チェコ,スロヴァキア,ポーランド)では,学問としての古典学の水準もさることながら,特にラテン語教育の普及度の高さが実感された.各国とも,ラテン語の文法書,辞書,定型句集といったツールが,総じて高いレベルと精度を誇り,一般の書店でも入手可能である.この3か国はスラヴ言語圏に属しつつ,中世以降ローマ・カトリックの勢力が大きい.彼らは言語構造の類縁性とローマに向かう信仰を糧として,西欧に劣らぬ文化水準を保ってきたと言える.一方ハンガリーは,アジア系民族を淵源としながらもA.D.1000年以降キリスト教を受容し,ここでもやはりラテン語教育が大いに普及している.ハンガリーやスロヴァキアの東部にはギリシア・カトリックの勢力が根強いが,ビザンティン文化圏に遡源する彼らにとっても「ローマ」という概念は「カトリック」であるという自己認識を失わないために不可欠のものであり,視察したニーレジハーザの神学院ではラテン語が必修単位となっていた.ハンガリーは四方をスラヴ,ゲルマン,ラテンの諸民族に包囲されたアジア系国家であることから,我々日本人がヨーロッパへの足掛かりを持つ上でも非常に有効な規範となりうる.彼らがローマン/ビザンティンの典礼様式如何にかかわらず,総じてカトリック信仰とラテン語教育による国民意識を形成しつつ,アジア系という特質をも決して失うことがなかったという事実は,異文化接触の上で言語構造の相違が必ずしもハンディとはならず,むしろ異言語接触がフィードバック的に国民意織の確立に貢献することを実証する貴重な凡例だと言える.
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