本年度は、ホラティウスの作品、とくにイアンボス詩集『エポーディー』のテクスト分析を行なった。ブルトゥスらの共和派に参じて、しかしながら、ピリッピの戦い(前42)で敗北を喫し、帰国後、財産と土地を没収されてアウトサイダーとなった詩人の精神的状況が、攻撃と痛罵を特徴とするイアンボス詩を選ばせたとするのが、従来の支配的な見方であった。しかし、ギリシアの初期イアンボス詩の最近の研究成果に基づいて、Mankinなどによって大胆な読み直しがなされ、『エポーディー』はギリシアの初期イアンボス詩の性格を考えられていた以上に忠実に引き継いでいるとの主張がなされた。また、制作年についても見直し、全体的に従来の推定よりもずっと遅く、オクタウィアヌスが政権を確立しようとしていた、そして、すでにホラティウスもオクタウィアヌスに近いマエケナスのサークルに加わっていた前30年代末とし、この詩集ではそのときの時代的、社会的状況を危機的と捉えている詩人の批判的な反応がうかがえるとし、さらには、詩人の資産の没収などの事実さえなかったとする説が示された。 すなわち、アウトサイダーとしてのホラティウスの状況がイアンボス詩集を生み出させたわけではないとの見解が提出されたのに対して、これらの諸説を検討し、改めて『エポーディー』のテクストの分析を試みた。とくに、「家郷喪失者」の観点により分析を行なった結果、家郷喪失者の自己意識を反映した表現が重要な特徴となっており、また、それらはウェルギリウスの『牧歌』などとも共通点を持つことを明らかにした。そして、この時代のいわば共通経験とも言える「家郷喪失」が、具体的な事実は必ずしも明確ではないものの、ホラティウスの詩作動機としてはっきり存在したことは疑われないことを示した。
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