研究課題
平成16年度には、『旧約聖書』の「創世記」、ヘッセの『デミアン』、ヴァーグナーの『パルジファル』に見られるグノーシス主義、また『パルジファル』がグノーシス主義だと看破したP・ディックについて研究した。原始キリスト教の時代には、誰もが「創世記」の楽園追放を「原罪」として解釈したわけではなかった。とりわけグノーシス派キリスト教徒は楽園追放を、エヴァに代表される魂の霊的本性からの逸脱と解釈した。そのため自己崩壊に苦しんだエヴァは、やがて霊的本性と和解し再結合するにいたる。それがエヴァのアダムとの結婚のうちに象徴されているという。この点については、東京大学の大貫隆氏に多々教えられた。堕罪と楽園からの追放に苦しみながら、キリスト教によってではなく、グノーシス主義によって救済を得るのが、ヘッセの小説『デミアン』の中心的物語である。主人公のデミアンはもはやキリスト教的な神をではなく、善と悪を統合した神であるアブラクサス(グノーシス主義バシリデース派の神)を敬うにいたる。ヘッセにグノーシス主義のことを教えたユング派の精神科医ラング博士のことについては、神戸市立大学の村本詔司氏から教わることが多かった。キリスト教とは一線を画すグノーシス的な救済願望は、ヴァーグナーの『パルジファル』のなかに端的に認められる。パルジファルは「無知なる愚か者」であるが、彼はクンドリーの口づけによって、彼女が「誘惑者」であることを「認識」(グノーシス)し、「無知」から「知」へといたる。クンドリーの口づけは、エヴァがアダムに与えた禁断の木の実に当たる。そして罪を負ったアダムの子孫を救済するためにイエス・キリストが遣わされたように、パルジファルも、傷を負った聖杯城の主を救済する救世主となる。ヴァーグナーはアダムとエヴァの楽園追放をカトリックのように原罪の物語と解釈するのではなく、グノーシス派の人々と同様、これを、人類が知と救済にいたるために不可欠なステップと見なしている。しかしヴァーグナー自身は、グノーシスについて一度も語ってはいない。したがって彼がグノーシス思想を知っていたかどうかも不明である。しかしアメリカのSF作家フィリップ・ディックは、きわめてグノーシス的な色彩の濃い哲学的小説『ヴァリス』のなかで、『パルジファル』における「無知から知」への以降はまさしくグノーシスの思想であり、主人公は無知であったからこそ、救済者になれたのだと結論している。
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モルフォロギア(ナカニシヤ出版) 26号
ページ: 2-14
Neues Jahrhundert, neue Herauforderungen -"Germanistik im Zeitalter der Globalisierung"北京(外語教学与研究出版社)
ページ: 136-147
Neue Beitrage zur Germanistik.(iudicium verlag) Bd.3, Heft 3
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文学(岩波書店) 4巻3号
ページ: 22-23
望星(東海教育研究所) 2004年10月号
ページ: 32-37
ゲーテ年鑑(日本ゲーテ協会) 45巻
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