古代小説は前1世紀の「ニノス物語」(散逸)に始まるとされるが、小説の萌芽のようなもの、あるいは小説の一要素をなすようなものはそれ以前から瞥見される。本研究の初年度、中務はそのような、古代小説の発生にきっかけを与えたと考えられる作品を掘り起こし研究した。すなわち、クセノポン『キュロスの教育』に含まれる「パンテイアとアブラダタスの物語」について、ギリシア神話および後世のペルシア文学の両面からモチーフ分析し、この物語の起源と後の小説への影響を考察した。また、カッリマコスが各地の口碑から集めた恋愛譚や、ヘレニズム後期の詩人パルテニオスの蒐集した"Erotica Pathemata"の物語群などについては、よく知られたギリシア神話のバージョンと比較することにより、詩人の創作意識を探り、古代小説の発生にいかなる刺激を与えたかを考察した。 高橋は、オウィディウス『変身物語』の叙述技法について、とくに、第8巻後半から第9巻にかけて連ねられる登場人物による例話や体験談をめぐって、共通するモチーフの展開や対比、例話が例証する事柄とそれを語る登場人物の行動とのあいだの対応と微妙な不整合、また、物語のあいだの移行と新しい巻への移行の関連などに着目、詩人特有の機知の発揮を観察するとともに、小説の叙述に通じる要素をさぐった。
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