本研究では、まず18世紀ドイツにおいて、哲学と医学が融合した新しい学問としての人間学の成立過程を調査し、そこにみられる人間観の変化について考察した。18世紀前半にはすでに、デカルト的心身二元論から派生した機会原因説や予定調和説に対する批判として、物理的影響説に基づく医学理論が登場し、人間の心身交渉の問題はアルブレヒト・フォン・ハラーなどによって生命精気や神経の作用によって説明されるようになり、その一方で哲学の分野では魂の能力や作用を経験的に考究する経験的心理学が成立した。これらの潮流は1850年頃のハレにおいて合流し、そこにおいて人間を精神と身体の交流する総体として捉え、それと関連する様々な現象を経験と観察に基づいて研究する新しい学問潮流が生じたのである。その具体的な例は、クリューガーの「実験心理学」の構想やニコライの想像力論、マイアーの情念に関する理論などにみることができる。このような学問領域は1772年にプラトナーによって「人間学」という名称が与えられ、同時にその理論的体系の試みが行われた。 この新しい人間学は心身の調和的総体性を喪失した近代的人間の様々な症状を見いだし、その具体的表れとしてのメランコリーや熱狂などは当時の文学の重要なテーマとなり、人間学と文学が結びついた「文学的人間学」が生じてきた。ヴィーラントは小説『ドン・シルヴィオ』や『アガトン』において熱狂の治癒の問題を個人の内面的発展との関連において扱い、「人間学小説」の典型的実例を作りだした。これを模範としてブランケンブルクは、『小説試論』において内面史の記述を中心とする近代小説の理論を提示した。そして、モーリッツは「経験心理学」を構想するとともに、その一環として『アントン・ライザー』において「心理学小説」というジャンルを確立した。またシラーはこうした人間学を小説や演劇に適用し、さらに美的教育論へと発展させていったのである。
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