ジュール・ルナール(1864-1910)は執筆活動をつづけるかたわら、1900年、故郷シトリー村の隣村の村会議員に選出され、またその後1904年にはシトリー村の村長に選ばれている。彼は1908年にも再選され、二期めの途中で亡くなるまで謹厳にこの公職をつとめた。本研究ではルナールの晩年におけるふたつの願望-村政を通じて後進的な村人を教導しようという思いと、生計のためもあるが、すぐれた文学作品を残したいという熱烈真摯な願望-のドラマを分析した。これまで今回の科研費補助金を受けて、三篇の論考を発表した。 最初の二篇ではフランス社会党の創立者であるジャン・ジョレスとの友情に焦点を当てたが、この希有な演説家がルナールに及ぼした影響には深甚なものがある。とりわけ『田園詩』("Bucoliques"1905年に第二版)そして『村便り』("Motsd'Ecrits"1908)にはルナールの選挙運動の様子や、彼の村政に対する抱負が伺えるが、彼には村の政治を通して村人に共和国精神を植え付けたいという教導の熱意があった。こうした姿勢にはジョレスからの感化が根本的に認められる。そして特に『田園詩』に関し、第二版で新たにつけ加えられた九篇のうち五篇がジョレスが主筆をつとめるフランス社会党の機関紙「ユマニテ」に発表されていることは、両者のつながりの深さを傍証しよう。ジョレス抜きにはルナールの文学と政治の関わりは解明できない。 第三の論考ではニヴェルネー地方の他の文学者たちとの比較を通して、彼の文学と政治の関わりの特色を明らかにしたいと思ったが、残念ながら時間が不足し、クロード・ティリエという作家でもあり思想家でもある人物への、ルナールの称賛の講演を訳するだけで我慢しなければならなかった。これについては他日を期したい。 しかし全体としては、今回の助成による研究で、当初の目的はかなりの程度果たせたのではないかと考えている。
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