トマス・ハーディの長編小説について、現在までに様々な視点からの論考を加えてきたが、時間の進展に応じて変容する人間の姿、特にその内面と、その時間の進展によってすり替わり繋ぎ替わる人間関係という視点からさらに論考を加えようとした。平成16年度は、これまで行ってきた研究の継続でもあり、長編作品研究の補完的研究として、短編小説集『ウェセックス物語』のうち、「萎びた腕」を対象として取り上げた。これまでに短編小説集『人生の小さな皮肉』の中の「幻想を追う女」、「息子の拒否」、「西部巡回裁判の途上」、「良心ゆえに」を対象とし、一貫して「不釣り合いな結婚の生態-「共感の通路」を求めて-」をテーマとして論考を重ねてきたが、本年度に取り上げた「萎びた腕」では、研究課題に掲げているように、外見の変異と時間の推移による心理の変容に焦点を当ててみた。 この短編小説は、若いときの過ちで、乳搾りの娘との間に子供をもうけながらも結婚はせず、若くて教養ある娘を妻として迎えた地主が物語の軸として存在しながら、乳搾りの娘と若い妻との間の嫉妬と葛藤とがテーマとなっている。呪いにより手が萎びてゆく若き美しい妻と、その妻に激しい嫉妬を抱きながらも優しさと同情に心惹かれ、苦悩する乳搾りのふたりの姿は、人間の根源的な理性と感情という二面性をアレゴリカルに提示していると考えられる。外見的な美を機縁として結ばれる男と女、それによって繋がれる「共感の通路」と、美の萎縮によって失われゆく「共感の通路」、そうした問題が実質上の結婚と絆としての子供の存在に、極めて巧みに物語として描き込まれているのである。 平成16年度はコンピュータを追加的に更新し、主に論文作成を行いつつ、文献資料等、研究をまとめるために必要なデータベースとして部分的に構築化してきた。また、映像関係にも視野を広げ資料収集と映像データの活用を検討した。さらに、平成16年度は、日本比較文学会第40回記念関西大会を主催し、その大会において、「理想の女性像を求めて-HardyのThe well-Belovedと谷崎の『痴人の愛』-」を研究発表として行った。ハーディばかりでなく他の作家にも関わって、研究の視野を広げるべく適宜研修旅行を行ってきた。
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