本研究課題に関しては、現在「自伝のエクリチュールとエスニシティ」(仮題)を執筆中である。主としてリチャード・ライトの自伝/小説『ブラック・ボーイ』を考察の対象とし、自伝のエクリチュール(自伝の作法や自伝を書くという行為など)が黒人としての自己形成の営みとなっていることをテクストに即して論証しようとする論文である。自伝のエクリチュールとは、基本的に記憶の編集作業を通して過去を構築するというプロセスを内包する営みであると考えられる。そこでは事実としての過去がありのままに描きだされるというよりも、自伝を書いている時点でのさまざまの要請がそれに適合する形の過去を作りだし、呼び寄せる。その意味でそれは記憶の改変、さらには創造という側面をもつといえる。『ブラック・ボーイ』においては、白人の社会支配による抑圧システムの構造を暴露し、それに対抗する黒人像(エスニシティ)の創出に向けて、自伝のエクリチュールが作動している。その際にライトが用いた主要な武器は言語(の操作)である。そこで本論考では作品内の言語による闘いのエピソードおよび自伝を書く行為という二重のレヴェルにおける言語操作に焦点を当てている。 なお、本研究に関連する研究として、「フォークナー、モダニズム、歴史認識」と「アレン・テイト『父たち』と南部」というふたつの論文を発表した。いずれも白人を支配層とする南部社会の歴史的成り立ちに関する考察を含むものであり、南部社会の底辺での黒人少年の苦闘をあつかった『ブラック・ボーイ』に、間接的ではあるが、側面から光を当てる論考となっている。そればかりではなく、両白人作家の歴史認識のありようが現在の時点からの遡及的な過去の構築という営為にもとづくものであることを論じており、その意味でも両論文は『ブラック・ボーイ』における自伝のエクリチュールの考察に通底する面がある。
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