本研究では、ヨーロッパ文学における重要な伝承領域であるトポスとしての「水の精の物語」の古代から現代に至るまでの変遷を、その伝承領域の背後に隠された「視覚と聴覚の弁証法」の、つまり「聞くこと」と「見ること」をめぐる人類の身体論的展開の実相と意味の解明を目指している。 ヨーロッパの神話、伝承、童話、文学作品には数多くの水の精が登場するが、いずれの話も水を出自とする女性が陸に住む人間の男性を誘惑もしくは魅了するという点で共通する。しかしながら、「水の精の物語」の起源として挙げられる『オデュッセイア』のセイレンに関しては、その誘惑の手段をめぐって古代から現代にいたるまで多様な解釈が存在し、そうした見解の不一致はそのままセイレンの後裔たちの物語に反映する。 私見では、見解の相違は概ね三つに分けられる。第一にセイレンの歌の内容に注目し、セイレンの誘惑を完全な知への誘いとみる知性重視の見解があり、第二に歌声の美しさに注目し、誘惑をあくまでも音楽的とする聴覚重視の見解があり、第三にセイレンを肉欲の権化とみなし、誘惑手段をその美しい容貌とする視覚重視の見解がある。以上の見解のうち、聴覚重視の見解と視覚重視の見解は融合と離反を繰り返しながら、セイレンの後裔たちの物語の核を形成していく。 平成15年度の研究では、主としてホメロスからゲーテにいたるまでの水の精の物語を考察対象とし、その身体論的展開の実相を明らかにした。中でも新たな知見として挙げられる点は、中世において視覚性のみを重視する伝統が形成された後、長らく途絶えた水の精の歌をロマン派の詩人たちよりも先にゲーテが復活させたこと、そしてその復活が新たな身体論的展開の契機となったこと、以上の二点である。
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