本研究は、ドイツ文学を考察の中心に据えながら、ヨーロッパ文学におけるトポス「水の精の物語」の古代から現代に至るまでの変遷と、その背後にある「視覚と聴覚の弁証法」の解明を目指した。その結果、まずは当初の計画どおり、トポス「水の精の物語」が聴覚重視と視覚重視の融合と離反を繰り返しながら変容する過程を概ね明らかにした。 具体的に述べると、平成16年度までに、(1)ホメロス『オデュッセイア』のセイレンの誘惑手段をめぐって古代から現代にいたるまで知性重視、聴覚重視、視覚重視の概ね三つの異なる見解があること、(2)本来は聴覚を重視する「水の精の物語」が次第に変質し、歌うことのない美しい水の精が登場し、視覚のみを重視する伝統が中世において形成されること、(3)ゲーテが水の精における歌の欠如という点で伝統の継承者となるが、同時に歌を再び復活させる改革者となり、更には新たな展開の先駆者となること、以上を明らかにしたことを踏まえて、平成17年度には、(4)ドイツ・ロマン派によって「水の精の物語」における聴覚重視と視覚重視のふたつの見解が混淆する過程(主にアイヒェンドルフ、グリム兄弟、ハイネ)、(5)再び歌声が消失するというアンデルセンにおける転換点、(6)その後、歌声の欠如という点で共通する現代ドイツ文学の「水の精の物語」における新たな展開(主にトーマス・マン、カフカ、バッハマン)を解明した。 しかしながら、本研究が当初の予想を遙かに超える深まりと広がりを見せたため、ドイツ・ロマン派以降については、これまでドイツ語論文にて大まかなアウトラインを示したものの、日本語論文にて詳細に論じるには至らなかった。今後の研究では、水の精の歌が多様に展開するドイツ・ロマン派文学と、水の精の歌の消失が顕著な現代ドイツ文学とを考察の中心に据えながら、改めて日本語にて詳論し、トポス「水の精の物語」の身体論的研究の完成を目指したい。
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