今年度の研究において得られた知見は以下のようにまとめることができる。 1.「牧会書簡」の偽名文書としての総合性:「牧会書簡」とは、Iテモテ書、IIテモテ書、テトス書という3つの新約文書の総称だが、この3文書ははじめから総合的に読まれることを意図して構成されていながら、しかも各文書は互いに無関係な歴史的状況のもとで成立したかのような体裁を取っている。そのような文学的意図が著作の背後にあることを今回の研究では改めて確認した。このことは、従来の牧会書簡研究ではほとんど指摘されていない。この点に関しては論文「長老団の按手(Iテモテ4:13)とパウロの按手(IIテモテ1:6)」において詳述している。 2.「偽名文書」をめぐる倫理観:今回の研究の過程で収集した文献を精読した結果、文書の偽名性に関する古代の倫理的評価には、現代におけるそれとは異なっている点と異ならない点の両方があることが明らかになってきた。異なっている点としては、文書の「真正性」を判断する際に、本人の言葉遣いを忠実に再現しているかどうかといった外面的基準ではなく、言表の中身が本人に遡るかどうかという内面的基準がむしろ重視されるということである。異ならない点としては、「偽物」はやはり拒絶の対象となるということで、例外も見出されるにせよ、「偽物」であるということと「騙し」であるということとは、現代と同様に古代の倫理観においても結びついていると言えるようである。 3.牧会書簡の偽名性判断の際の基準:牧会書簡の著者問題をめぐっては、これを偽名文書とするドイツ語圏の研究者とパウロの真筆とする北米の研究者(それぞれに例外はある)との間に意見の相違が見られるが、それぞれの主張する根拠を、研究費によって収集した文献などを基に検証した結果、ドイツ語圏の研究者の主張の方がやはり説得的であり、牧会書簡の真筆性を主張する研究者の立場は巌密性を欠くと同時に、「偽名性」に対する否定的価値判断に影響されたものであると判断されるに至った。 以上の知見を基にして、今後は、牧会書簡を初期キリスト教史の展開の中に位置付ける総合的作業に移る計画である。具体的には、牧会書簡を構成する3書それぞれの学術的注解書の執筆準備に入る。
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