アメリカのメルヴィル学会の学会誌Leviathanに掲載された"Isabel as a Native American Ghost in Saddle Meadows"では、メルヴィルの小説『ピエール』の女性主人公のひとりイザベラが、先住民であると主張した。そして作品全体が、転覆された捕囚記として読めることを示した。白人作家の作品においても先住民が無視できないかたち、いわば潜伏したようなかたちで潜んでいることがある。その一例を示せたのではないかと考えている。 「The Confidence-Manに潜む先住民」でも、基本的には同様のアプローチをとった。メルヴィルの小説『信用詐欺師』後半部の主人公は、従来では概ねキリスト教の枠組みで悪魔的であるとされてきたが、彼が先住民的でもあると主張した。作品に、キリスト教という西洋の枠組みと同じくらいの比重で、白人によるアメリカ大陸の征服史の枠組みが隠されていることを分析し、作品の構造・主題にも反映されていると論じた。 私はまだメルヴィル研究の半ばであるが、彼の諸作品では、主人公すら先住民的であるという感触を強めている。 なお、「ロペスの政治的無意識-先住民理解と相克と」では、現代活躍中の環境文学のバリー・ロペスを先住民の主題で論じた。先住民に強い思い入れをもつ白人作家の手になる先住民表象の限界について考察した。ひいてはメルヴィル理解にも役立つはずである。痛感したことは、先住民との関連で理解を深めるためには、前近代と近代のについて考えなくてはならないということである。 平成16年度は具体的には、メルヴィル学会の国際学会(2005年6月の予定)での発表申し込みに向けて努力する。中南米もきちんと研究しなくては、メルヴィル理解はおぼつかないと痛感している。
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