今年度も、昨年度に引き続き、明治・大正・昭和初期に日本で活躍した西洋近代文芸論の翻訳・紹介者のうち、中華民国期に中国語に翻訳された著作を中心に資料の収集に努めた。そのうち特に、中国における自然・写実主義の受容に関して、「リアリズム」という言葉が、中国語では、「写実主義」と訳される場合と、「現実主義」と訳される場合があり、その転換期が何時にあり、どのような翻訳著作が影響しているか調査した。その結果、20年代は、日本で文芸・芸術関係で使用していた「写実主義」という言葉を中国文壇ではそのまま使っていた事実が認められた。その後、プロレタリア文芸理論を紹介した青野季吉(1890.2.24〜1961.6.23)片上伸(1884.2.20〜1928.3.5)の著作を魯迅が訳した頃が転換期となる。青野季吉著『転換期の文学』(東京春秋社、1927.2所収の「現代文学の十大缺陥」はプロレタリア文芸側からの視点を通して自然主義以降の文芸流派の傾向を客体化させたものであり、魯迅がこれを翻訳し『壁下訳叢』(上海北新書局、1929.4)に掲載し、茅盾が『西洋文学通論』(上海世界書局、1930.8)で西洋近代文芸思潮を解説し、今後の文芸には「新しい写実主義」が必要であることを説いている。この「新しい写実主義」という言葉が、金子筑水(1870.1.10〜1937.6.1)著『現代哲学概論』(東京堂書店、1922.12)所収の「現実主義哲学の研究」を蒋径三が『現実主義哲学的研究』(上海商務印書館、1928.3)として翻訳・出版するが、「左連」成立後の30年代以降の中国文壇では、この著に現れるもう一つの日本語の訳語である「現実主義」が、プロレタリア文芸理論と結びつき、茅盾の言う「新しい写実主義」という観念に「現実主義」という言葉を使用したと考えられることが認められた。この他、中国での「自然・写実主義」の受容に関し魯迅を中心に論文を作成した。 現在は、中国で収集した資料を基に、「魯迅と表現主義」という論文を作成中であり、そこでは、片山孤村(1879.8.29〜1933.12.18)山岸光宣(1879.2.3〜1943.10.1)小池堅治(1878.4.9〜1969.4.24)北村喜八(1898.11.17〜1960.12.27)板垣鷹穂(1894.10.15〜1966.7.3)等の中国語に翻訳された著作を扱っている。
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