本年度は、皇民化期の台湾文学に描かれた台湾原住民像の分析を中心に資料収集を行い、論文の執筆に当たった。 日本は台湾を植民地とした後、当初は漢民族を中心とする武力闘争の鎮圧に力を注ぐ。彼らの抵抗がひとまず終息した後に、総督府は山地に住む原住民の懐柔と弾圧に着手した。その最も大規模な政策が、第5代の総督佐久間左馬太が実施した「五箇年継続ノ理蕃事業」(1910〜1914)である。だが、佐久間の一連のジェノサイドにも関わらず、原住民の抵抗は続き、やがてカシバナ事件・ターフン事件(ともに1915年)となって、勃発するのである。 大東亜戦争ただ中の1943年に発表された河野慶彦の「扁柏の蔭」(『文芸台湾』)は、このカシバナ事件・ターフン事件以降の原住民に対する徹底的な理蕃政策を括弧に入れ、その歴史を見落とすことによって、現在(1943年)高砂義勇隊として戦場に向かう彼らの姿のみを描写するのである。 本論文では、作品に描かれなかった30年近い理蕃政策を掘り起こすことで、現在の「安定」を作り出した総督府の統治を明らかにしたものである。 また、日本統治期における台湾での登山ブームやツーリズムの中で、原住民に対するまなざしが、どのように形作られたのかも考えるために、原住民を題材にした絵はがきや、観光ガイドブックの中の原住民像を分析した。
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