本年度は、1.使徒言行録中の演説をリストアップして一覧表を作成し、2.古典修辞学の諸著作と近代の先行研究を批判的に参照しながら、修辞学的聖書解釈の方法論についての考察を深め、3.この方法論を実際に使徒言行録1-15章に含まれる主要な演説を分析し、そこに見られる修辞学的特色を明らかにした。 古典修辞学は、古代ギリシア民主制の中で発達した演説の技術及びその理論体系であり、議会や法廷や祝祭のときに行われる公の演説に用いられた。修辞学はギリシアでは、哲学と共に高等教育を形成する重要な位置を与えられていた。後にはローマ人がギリシアの修辞学を継承し、修辞学はギリシア・ローマ世界全体の重要な文化的伝統となっていた。ギリシア・ローマ世界に広まった初期のキリスト教の宣教活動も、ギリシア・ローマ世界の聴衆を言葉によって人を説得し、宗教的真理へと導く言語行為であるので、周辺世界の修辞法との接点を持っている。このことに英語圏の新約聖書研究者たちは早くから着目してきたが、日本ではまだ研究が端緒についた段階である。修辞学を新約聖書のテキストの釈義にどのように適用するかについて、様々な可能性があり、分析モデルが提案されている。新約聖書の修辞学的解釈について、試行錯誤の結果、私は(1)修辞学的状況、(2)配列構成、(3)修辞的種別、(4)修辞的手法から構成される一定の分析モデルを作成し、実際に適用することとした。本年度に行った研究の成果の一部は、『東北学院大学 キリスト教文化研究所紀要』第21号と『東北学院大学論集 教会と神学』第27号及び第38号に論文として公表した。 私の修辞学方法の特色は、演説を修辞的状況が要請する言語行為として捉えると共に、「言葉による説得の手段」として聴衆に対する修辞的機能に注目していることである。そのため、従来の新約聖書学研究では、使徒言行録中の演説は、演説者が誰であるかに拘わらず、初代教会の一定の説教の型を反映する、没個性的なものとされていたのが、逆に、演説者と聴衆、修辞的状況によって内容が様々に変化する個性的な性格を持つことが明らかになってきたのである。
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