ジュネーヴ大学に保管されているソシュールの自筆草稿のなかで、もっとも早い時期に書かれたと推定される1891年11月のジュネーヴ大学における「開講講義」の草稿の判読と訳出を終えた。ジュネーヴ大学公立図書館にてソシュール自身の自筆草稿に基づいた本文校訂の作業によって、エングラー版およびガリマール版の幾つかの箇所の判読・転写ミスを訂正することができた。推敲のプロセスをどのように校訂版に反映させるかという課題が残っているが、当面は、行間と欄外における加筆部分のみ略号<>を用いて示し、その他の点については、註を付すという方針で校訂と訳出作業をすすめていく予定である。 またこの時期におけるソシュールの言語観がいかに同時代の歴史主義と深く関わりながらも、本質的な点で異なるものであることが判明してきた。この開講講演においてもソシュールは言語の時間的な連続性と変化に特に注意を払っており、それが合法則的な変化とは言えないこと、そして切れ目無く持続しつつ微妙に変化をとげていくという点に執拗にこだわっている。変化を内包した時間的連続性をソシュールは「伝統」という名前で呼んでおり、そこに言語が他の恣意的な記号体系と識別される理由を見ている。これは共時態と呼ばれる言語状態も、時間の要因を排除したものではなく、不可視の時間的連続性に支えられていることを示しており、従来の共時態概念に変更を迫っているものと言えよう。
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