宮内庁書陵部に残されている、谷森善臣の書き残した文献を調べることから始めた。中心となるものは、『五十音図纂』2種であるが、『谷森靖斎翁雑稿』全23冊の中にも関連記事が多数含まれることが分かっていたので、これを調査した。なお調査中であり、当初、谷森の研究を歴史的な研究であると見込んだことに間違いはなかったが、神代文字による五十音図の存在を肯定しているなど、大矢透など次世代の五十音図研究とは異なる点の多いことも確認された。一方で、大矢透との研究の交流が見え、五十音図研究の近隣領域である、いろは歌研究に置いても、『金光明最勝王経音義』所載のいろは歌についての研究など、前代までのいろは歌研究とは異なっていることも確認された。 また、平田篤胤の五十音図研究を再確認したところ、後の平田派国学者の五十音図研究に見られるような、全くの理論的なものではなく、ある程度の歴史的視点を持ち合わせていたことが分かった。そのため、谷森善臣の五十音図研究と比較すべきなのは、篤胤のものよりは橘守部、富樫広蔭、堀秀成といった人のものであろうことが確認された。そのように見ると、谷森の研究は篤胤の研究の歴史的な部分を発展させたものと位置づけることが出来る。 また、次世代の五十音図研究者である大矢透のものと比較すると、かなり多くの五十音図を収集していることが伺いしれるが、それでも谷森以後に大矢透が見いだしたものと思われるものも多くあることが分かり、大矢透の国語学史上の位置を明らかにすることに役立つ。
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