谷森善臣の『谷森靖斎翁雑稿』を読みすすめて行き、主に大矢透との比較を行ったが、他に、榊原芳野『文藝類纂』(明治11年)所収の五十音図研究や、佐藤誠実「五十音考」、また佐藤誠実が大きく関わったと思われる『古事類苑』「文学部二音韻」の「五十音」の項に収められた文献、さらに物集高見『広文庫』にも「五十音」の項があり、それらについても考察をした。 考察をすすめる中で明らかとなったのが、従来の国語学史研究は、本居宣長以降については、明治になってからの西洋言語学を導入するまでの諸学者たちの殆どを等閑視してきたものであった、ということである。本研究では大矢透の研究について、大矢透以前の業績に大矢透が明確には言及していないことを指摘した。大矢透自身は西洋言語学を積極的に取り入れた学者ではないが、文部省の国語調査委員会の中にあって、上田萬年等とともに研究をしていた人物である。そのような人々の業績は、後世の学者たちもよく引用するのだが、それ以前の業績については引用されることも少ない。これは、本研究の中心となった谷森善臣の業績についてのみではなく、他の人の業績についても同様である。 このようなことは、国語学史研究にとっては、偏ったことであり、今後是正して行かねばならない。もちろん、神代文字の肯定などの問題も多いのではあるが、全てを無視してよいわけではない。また、国語学史研究にとどまらず、日本語史の研究の際にも、宣長以降明治以前の諸学者達の業績は参照されるようにならねばならぬ。彼らの行った文献発掘・整理が、評価できるものであることが、本研究によって明らかになったからである。
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