当研究課題の解明にあたり、まず日本国内で資料収集・情報収集を先行した。しかしながら、このテーマに関する当時の一次史料及び先行研究は現在限られたものしか確認されていない。したがって、国内・マレーシア双方において当時を知る関係者の著作等を発掘すること、関係者の口述資料を収集することが不可欠である。今年度は、2003年9月と2004年3月の2回にわたり、マレーシア・サラワク州クチン、ミリにて日本軍政下の日本語教育に関する関係者への聞き取り調査及び資料・情報収集を実施した。 今年度の調査結果について、大きく以下の3点がまとめられる。 1.クチンにおいて聞き取り調査を行った人々(7名)は、各人の年齢や置かれた状況により日本語学習についての取り組み方も異なっていた。それぞれの日本語学習には1)〜7)のように各人各様のあり方が見られる。 1)日本軍政には背を向け、日本語も習わなかった。 2)生活のため(仕事を得るため)日本語を習い、結果的に日本軍政に協力することになった。 3)青年指導者としての選抜により日本語を学習することになり、日本軍政に協力した。 4)日本語学習の動機いかんに関わらず、日本語ができたので、比較的積極的に日本軍政に協力する形になった。 5)日本語は習わなかったが、自宅提供など日本軍政には協力しなければならなかった。 6)積極的に日本軍政に協力する気持ちがあったわけではないが、日本語ができたので、やむを得ず協力せざるを得なかつた(在外邦人二世)。 7)年齢的に若かっためで軍政に協力する仕事には従事しなかったが、比較的熱心に日本語を学習した(日系二世)。 2.ミリにおいて聞き取り調査を行った人々(3名)は、同一機関(「南方石油工養成所」)で日本語を学習しており、「兵補」として日本軍と行動を共にしている点など、特徴的な点が多く見られた。 3.これまでサラワク州における調査においては、教科書・教材等の使用が確認できていなかったが、今回(3月)の調査により、クチンにおいて日本語教科書を複写資料として収集することができた。 ミリにおいては「日本語教科書はなかったが、プリント教材を使用した」との証言を得た。また、クチンにおいては日本語教科書を発掘したが、これが当時クチンで使用されたものであるかどうかは不明である。当時の日本語教育の具体的教育内容を究明していくには、今後、日本語教科書の使用実態も含めた教育内容の解明が特に求められる。
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