当初提出した研究目的にそって、今年度は、西洋世界でいう「近代性」概念が、日本、韓国、そして在日朝鮮人にどういう形で歴史に刻印されたのかに気をつけながら、いくつかの研究をすすめた。その場合、2003年3月に平凡社から出版した拙著『ソウルで考えたこと-韓国の現代思想をめぐって』が、今年度の研究をすすめるうえで出発点となり、また基盤になった。 さいわい、今年度は、時期的にもうまく重なって、日本、韓国それぞれの雑誌や学術大会などでの発表にもめぐまれ、「近代性」概念を「植民地近代」とか「植民地的近代性」の問題設定と関わるかたちで思索を深めることができた。もちろん。そうした思索はイラク戦争や日本人拉致事件をめぐる日本社会における議論の昂揚、とくにまたナショナリズム的思潮の「蔓延」と交錯するものとなった。 「在日同胞の民族体験と民族主義」という論稿は、韓国の近代性、植民地性、民族主義、あるいは脱民族主義および脱植民地主義の論調を検証する哲学者大会で発表、討論されたものであり、韓国における、ある意味での思想の分岐点において、在日朝鮮人の見解を著したものということになる。当然、日本でのそうした議論をふまえたものであり、その意味では日本、韓国、そして在日朝鮮人にまたがる思想のあり方と問題点、課題を提示したものとなる。 「東アジア、南北朝鮮と日本」は、「北」による日本人拉致を背景に沸騰する日本ナショナリズムを視野におさめつつ、現代日本の歴史認識のありかたを原理的に諭じようとしたものである。近代日本の歴史を把握するのに有効な三つの柱とは何かを述べるとととに、朝鮮観の歴史的あり方に力点をおいて論述したものである。これはまた、日本における脱植民地主義の課題とかかわるテーマである。 「在日と日本の思想」は、文字どおり、戦後日本の思想の営みにおいて、在日朝鮮人、あるいは在日の思想の営みがもった意味を探究したものである。見方によっては、戦後日本の思想を検証するひとつの有力な軸はまさに在日朝鮮人にあるといっても過言ではなく、その意味で、戦後思想の流れにおける在日の意味を検証することは重要な課題であると思われる。来年度以降の研究においても、こうした視点は継続されることになる。 今年度の補助金は、パソコンその他の購入、各種資料の入手、韓国や日本国内への出張旅費などに有効に使ったものと評価してよい。来年度以降、さらに研究をすすめていく予定である。
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