札幌農学校・北海道帝国大学の植民学について調査、研究をおこなった。新たな成果は、次の通りである。 札幌農学校の植民学をはじめた佐藤昌介について、1891年の植民学の自筆講義ノートを解読して『北海道大学文学研究科紀要』に(上)・(中)の2回に分けて公表した。日本で最初の講義ノートである。(下)もつづいて発表する予定である。 講義ノート原稿を解読することなどによって分かった点は、次の通りである。 (1)、佐藤は、留学したアメリカ、ジョンズ・ホプキンス大学経済学部の社会派の影響を多く受けた。 (2)、のち、北海道庁嘱託などに就き、北海道開拓の実際にかかわり、植民論の講義を開講するころは、イギリス植民省官僚のメリヴェールらのイギリス植民学の影響を、新たに、強く受けるに至った。 つまり、自作農中心のアメリカ社会派の植民学の影響を受けながら、やがて、アメリカ社会派によって批判されていたイギリスの現実主義的な植民学の影響を強く受けるようになった。 (3)、その後、1900年ころから、満州や朝鮮への進出を積極的に主唱しはじめた。植民学講座が、日本ではじめて設置されるころである。 (4)、その後の北海道帝国大学での植民学講座の発展についても、高岡熊雄らについて満州・朝鮮などへの進出論を研究することができた。研究者との共同研究もすすめて、その部分を論文として公表した。
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