1.平安時代書状データベースを作成した。《平安遺文》所収文書編、《平安遺文》未収文書編、《往来物》編に分かれる。書状形式の文書(綸旨、院宣、令旨、御教書、長者宣、奉書、啓、書状、消息、請文、送状など)を収集し、書状ごとに、書状名称、和暦年月日、西暦、差出書・下付、上書・宛所・脇付、書き出し文言、書き止め文言、出典・所蔵者、備考について表にまとめた。所収年代は、弘仁5年(814)から元暦2年(1185)までである。 2.書状の書式は、他の文書様式と同じように中国から古代日本に導入された。7世紀から8世紀にかけての、正倉院文書、木簡、万葉集にみえる書状について検討し、日本においては、初期には、書状の書式は、私的な場面ではなく、朝廷の公的な場面において受容されたことを指摘した。 3.唐の書儀(書札礼)と、日本古代の書状を比較することによって、日本古代社会の特質を考察した。唐では、表・状・啓の書式は書儀に規定されているが、上表・奉表する場合については唐令に規定されている。唐令を継受した日本令では、上表は継受したが、皇帝践祚などの場合、官人個人が奉表することは受容しなかった。これは、唐における皇帝と官人の関係と、日本古代における天皇と官人の関係の違いによると考えられる。 4.平安時代中期における奉書の成立について、論旨を例にとって考察した。平安中期の貴族の日記にみえる蔵人の書状と、文書としての綸旨を総合して検討した結果、綸旨の成立は、後一条天皇の時期にあったこと、その背景として、太政官・蔵人所の家政機関化により、天皇の命令が蔵人を通じて直接伝達されるようになるという政治機構の変化があったことを指摘した。
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