近年発見された新出の賀茂別雷(上賀茂)神社文書数千点のなかには、戦国期畿内を支配した三好氏の法廷で裁許された相論関係文書約百通が含まれている。これは三好氏法廷での裁判の在り方を示す史料としては東寺公文所相論史料(東寺百合文書)に匹敵するものであり、かつ三好氏と在地社会との関係がうかがえる唯一のまとまった史料群である。この一連の相論史料を分析することにより、三好氏の地域支配の在り方や権力構造の特質について、新たな知見を得ることができる。本年度は、上賀茂社ならびに京都府教育庁の格別の計らいにより、本史料の原本調査を行うとともに、紙焼き写真を入手し、その読解と裁許過程の復元に取り組んだ本史料はほぼすべてが欠年文書で、内容も難解なものであるが、いずれも永禄年間に惹起した3つの相論に関わる史料であると推定される。相論・裁許の経緯についてもなお検討を要するものの、おおよその経過復元はできた。その結果、従来説かれるような評定衆の意見をうけた三好氏当主が書下あるいは奉行人奉書で裁許を下し、判決が確定するという単純な様相ではなく、三好氏当主ならびに宿老衆の松永久秀、三好長逸の意向が複雑に絡まり合い、時に真っ向から対立し、三者の意見調整がなされつつ裁許内容が形成されていくこと、これら宿老衆と相論当事者たる在地社会との間には三好氏や宿老の被官、在地土豪層などが介在し、それぞれが文書を発給して在地に影響力を行使しつつ利害の調整を行っていること、また在地に裁判資金を提供しつつ三好氏との間を仲介する土倉の活躍などが確認され、三好氏による在地支配の様々な様相が明らかになった。そのほか、近年発掘が進む三好氏の拠点・阿波勝瑞遺跡の現地調査や関係史料の調査・収集もあわせて実施した。
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