古文書・古記録から関連史料を収集し、三好氏権力の内部構造ならびに地域支配の特質の解明に努めた。特に東寺公文所相論など相論関係史料からは三好氏内部での意思決定システムや在地支配の在り方がうかがわれるが、昨年度分析した新出賀茂社相論関係文書は内容が興味深く、検討の不十分な部分もあったため、今年度も引き続き検討の対象とした。三好氏当主・宿老・有力被官ならびにそれぞれの内衆から発せられた大量の文書からは、国人・土豪の被官化を通して在地支配を進めた三好氏権力の在り方が浮き彫りになるが、その反面、意思決定が在地社会の動向に規制される側面も有していることが明らかとなった。権力中枢部においては松永久秀の位置付けに着目する必要がある。ことに三好氏法廷における裁判権行使にあたっては三好長逸ら一族の有力宿老を差し置いて中心的な役割を担っており、永禄2年(1559)の大和入部後も京都支配に深く関わっている。単に一地域支配担当者の立場に留まっておらず、権力全体の中に久秀の機能を位置付け直す必要がある。一方、大和地域を中心に関連史料の収集を行ったが、史料上の制約もあり、久秀による大和支配の在り方はいまひとつ明らかにはできなかった。ただこの過程で永禄末年に三好氏が発給した「知行賦」を発見し得たのは僥倖であった。さらに賀茂社文書からは金融業者大森氏と三好氏との密接な関係が知られ、政商的存在と推定したが、史料博捜の結果、永禄9年の将軍義輝暗殺に関与するなどその癒着状況がさらに明らかとなった。三好氏の都市や商業資本支配を考える上でも興味深い事例の発見となった。 これらの成果、および先行研究を踏まえて、三好氏権力の特質について再整理し、研究成果報告書をまとめたい。
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