平成15年度は、上方地域において、京都町奉行と上方八カ国代官との関係が、享保改革期の前後でどのように変化するのかを検討した。 上方八カ国代官を統轄する京都町奉行は、その統轄機能の上に立って上方八カ国幕領支配、また上方八カ国幕領・私領に対する広域的支配を行っていた。「京都町奉行-上方八カ国代官」体制ともいうべき体制は、元禄11年(1698)に強化されたものであるが、これは、上方八カ国代官の集団的意志を、京都町奉行の代官支配を強化することで、極力排除しようとするものでもあった。 京都町奉行の上方八カ国代官統轄機能は、享保改革期に変化を見せる。すなわち、幕領支配の側面においては、同奉行よりも幕府勘定所による上方八カ国代官支配が進み、'上方八カ国幕領・私領に対する広域的支配の側面においても、摂津・河内・和泉・播磨(または摂河泉三カ国)への国役賦課主体の変化(京都町奉行から大坂町奉行へ)を背景に、やはり京都町奉行の統轄機能は後退するのである。幕府は、享保改革期までは、京都町奉行の上方八カ国代官統轄機能を強化することで上方八力国代官支配を行おうとしたが、享保改革により、逆にその機能を弱め、勘定所と直結させることで代官支配を十全のものとする方向に転じたといえる。 京都町奉行の上方八カ国代官統轄機能が低下する一方、新たに浮上するのは大坂町奉行である。京都町奉行に代わり、摂河泉播四カ国(または摂河泉三カ国)に対する国役賦課主体となるとともに、代官または代官手代を検使として論所に派遣する権限が新たに付与される。また、和泉国への郡触伝達権も手に入れるようになる。享保改革では、この大坂町奉行の権限強化についても注目する必要がある。
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