平成16年度は、享保改革期の上方地域における代官制度の変化について、おもに幕府中央との関係に重点を置きつつ検討した。 享保改革期まで、上方八カ国代官は京都町奉行の強力な統轄のもとにあったが、享保改革の中でその統轄機能は弱まり、幕府勘定所による直接的な代官支配が強化された。そのような動きの中で見過ごすことができないものに、勘定所役人による上方幕領支配がある。勘定所の御勘定が国々を巡見し、短期間であるが代官にかわって幕領支配を行ったものである。大坂代官(上方八カ国代官のうちで大坂に役宅のあるもの)の場合、享保4年(1719)・5年に御勘定が代官役宅に詰め、代官同様の職務に従事した。彼らは、大坂代官が兼任していた堤奉行職も兼ねており、その職務は幕領支配のみに限定されなかった。これは、代官制度史上特筆すべきものであるが、従来検討されたことがなかった。今年度は、この御勘定による支配の具体的内容に関する幕府史料および地方史料を収集し、分析した。 このほか、享保改革期における代官役宅および代官江戸屋敷、また代官用聞(用達)の性格についても検討した。たとえば大坂代官は、大坂に役宅をもつとともに、京都に用聞(用達)を置き、また江戸には自身の屋敷をもっていた。この三者が、それぞれがどのように関係しあい、それが享保改革の中でどのように変化したのかを、幕府の『武鑑』や地方史料から検討した。
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