研究課題/領域番号 |
15520404
|
研究機関 | 広島大学 |
研究代表者 |
頼 祺一 広島大学, 大学院・文学研究科, 教授 (50033494)
|
研究分担者 |
引野 亨輔 日本学術振興会, 特別研究員
鈴木 理恵 長崎大学, 教育学部, 助教授 (80216465)
中山 富広 広島大学, 大学院・教育学研究科, 助教授 (50198280)
|
キーワード | 後藤夷臣 / 新見吉治 / 国学者 / 本居大平 / 近藤芳樹 / 石見街道 |
研究概要 |
本年度は広島県山県郡千代田町の井上家文書の現地調査を7月から3月まで5回実施し、既収の目録の点検と未目録史料の整理、各自の分担課題にもとづく調査・分析を行った。また12月には本町出身の国学者・後藤夷臣や井上頼寿の交流関係を探るため四国方面で関連史料の捜索も行った。しかし井上家の所蔵する古文書は予想外に多く、書状を中心として千点以上が未整理であり、次年度の繰越として残っている。 本年度の成果としては、次の7点があげられる。(1)井上家の子弟が入門した漢学塾の寄宿生活の実態を明らかにし、子弟の漢学塾での経験がのちの井上家の「地方文化人」としての性格に大きな影響を与えたこと。(2)井上家の当主は神主でもあったが、「地域神職」として井上家と本所吉田家との関係を明らかにした。(3)戦前・戦後にかけての歴史家・教育者として活躍した新見吉治(広島高等師範学校・広島文理科大学教授)が明治30年代に如何にして「地方文化人」としての後藤夷臣を「発見」し、それが地域にどのような影響を及ばしたのかを、新出史料から明らかにした。(4)本居大平門の夷臣の思想は、宣長・大平とも、また平田篤胤とも異なる土着的な視点がある。それが彼の幅広い交流とも関連し、同時に当時の国学者による「地域発見」ブームと軌を一にしている。(5)国学者夷臣と同じく大平門である近藤芳樹を広島および山県郡の神主・地主層らとの交流の実態を明らかにした。(6)まだ完全ではないが、書状の差出人を通じて、情報伝達網の地域的広がりが明らかになった。(7)井上家が本拠とした壬生村と広島・浜田とを結ぶ石見街道の通信・輸送の実態を明らかにした。 なお情報伝達の問題としては、書状以外に約半世紀にわたる「万覚帳」の分析も併行して検討する必要があり、その分析にも取りかかっている。
|