秦始皇帝が中国を統一すると、支配領域の隅々まで皇帝の命令と伝え、地方から中央への報告がスムーズになれるために伝達手段の文字の統一を行い、その命令・報告の機密を保持するため、文字による「官印」を作製し、ここに「官印制度」が成立した。その後歴代王朝はそれぞれの官印制度をつくり、皇帝支配体制の貫徹を目指した。最後の王朝となった清朝のそれは、それまでの制度の集大成ともいえるもので、その特徴は以下の通り。 (1)満洲文を含む複数の文字による合壁印である。入関前は満洲文のみの官印であったが、1644年以降漢族の中国を支配すると満洲文に漢文を加えた合壁印は使用された。それがモンゴル、チベット、トルコ系民族を支配下に収めると、それぞれの民族文字を含む官印が作られた。満・蒙・蔵・漢・回の五体が官印に使用されたのである。このことから清朝はまさに民族共存の体制であったといえる。 (2)官印中、モンゴル、チベット、トルコ文(アラビア文字)は一貫して楷書体であったが、満洲文と漢文は乾隆13年以降、複数の篆書体が用いられた。官職・身分によって書体が定められていたのである。 (3)19世紀後半になると、清朝体制再編の中で、新しい官制が施行されると、それまでの合壁印ではなく、漢文だけの官印がつくられ、ついに宣統帝即位前後には皇帝印まで漢文印となった。多民族の共存を標榜する清朝体制の終焉を象徴する変化といえる。 (4)官印は通常は朱印(朱色の印泥)、または紫印(同じく紫色)であったが、皇帝崩御の直後には、服喪を意味する藍印(藍色の印泥)、藍筆(藍色の墨で書く)が用いられた。
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