本研究は二部から成り、第一部では秦から元に至る王朝の官印制度の歴史を概観した。その特徴として、官印は政治権力の成立を前提とし、秦の始皇帝の天下統一によって、皇帝政治がはじまり、官僚制度が確立すると、中央(皇帝)の命令、地方(皇帝によって中央から郡県に派遣された官僚)からの報告の機密と権威を示すものとして官印の制度化が行われた。すなわち、官印は皇帝権の表象であり、皇帝政治の成立とともに起こり、発展したといえる。 第二部では清朝の官印制度を分析し、その特徴はつぎのとおりである。 1.清朝の官印制度は、秦以来の歴代王朝の官印制度を集大成したものである。 2.清朝の官印は、1644年以前は満文印、1644年以降は満漢合壁印、そして1850年以降、漢文印が地方で独自に作製された。 3.皇帝印(玉璽)から末端の地方官印に至るまで、清朝の官印は満洲文字と漢字の合壁印か、それにモンゴル文字、チベット文字、アラビア文字の合壁印である。 4.官職・官衙によって官印の大きさ、使用筆書体(10種類)に区別が設けられた。 5.清朝は朝貢国にも満漢合壁の印を授与し、天朝体制を構築した。 6.20世紀に入り、皇帝印(玉璽)までもが漢字印になった。これは清朝皇帝権の表象であった合壁官印制度の崩壊を意味し、ここに清朝を最後とする皇帝政治は終焉した。 7.明治時代の日中間の条約文書に押された官印を検討することで、日本の官印制度が清朝の官印から影響を受けていることが確認できた。
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