本年度の研究は、「卜筮祭祷記録」を副葬する楚文化圏の葬送習俗の中から「日書」がどのような過程をへて登場してくるのか、この問題を検討するための基礎的分析を行うことである。そのため基本史料である秦簡及び九店楚簡の「日書」原文を「桐」(管理工学研究所)でデータベース化した。それを利用してこれらの「日書」の注釈と分析を行ったが、残念ながら全文を分析するまでには至らなかった。次年度も引き続き同じ作業を行う予定である。 本年度は、こうした作業に平行して、同様に「日書」を出土する秦と楚の社全体制の異同を分析した。その成果の一部は、すでに「祭祀儀礼より見た戦国楚の王権と世族・封君一主として「卜筮祭祷簡」・「日書」による-」(『グローバル資本主義と歴史認識』歴史学研究増刊号、NO.768、pp.156-163、2002年10月)に公表しているが、本年度はその成果の意味するものを「「秦の領土拡大と国際株序の形成」再論」(『長江流域文化研究所年報」第2号、pp.150-163、2003年10月)として発表し、さらにその成果の一部を中国湖北省宜昌市で行われた国際シンポジウム「"ト筮祭祷簡"所見戦国楚的王権与世俗・封君」(楚国歴史文化国際研討会曁湘・鄂・豫・皖楚文化研究会"第八次年会、於中国湖北省宜昌市、2003年10月28日)として口頭発表した。これらの研究によって、同様に「日書」を副葬する習俗を有しながらも、秦と楚の社会的基盤の相違が明らかとなった。すると次の間題は、秦がどのような経過をへて楚に起源する「日書」文化を継承したか、ということであるが、それは引き続き行われる「日書」の分析によって検証してゆく予定である。
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