(1)中国武漢大学・荊州市博物館と共同で進めてきた張家山247号漢墓竹簡司法関係文書の早稲田側担当部分の日本語原稿を完成した。来年度中に中国で共同出版予定。 (2)2005年夏期、四川省&ケイ経県・青川県等、秦人が巴蜀に遷徙したルート上の調査を行った。その調査成果を踏まえ、秦の法制支配がどのように地域社会に及び、影響を与えたのかを"徒民"という視点から、巴蜀の地を地域モデルとして提示した。 (3)楚文化と卜筮祭祷に関して、以下のことを明らかにした。本来、被葬者の病因を貞問する「疾病貞」に淵源する卜筮祭祷習俗が、王権との関わりとの中で国家祭祀に吸収され、毎年年度始めに向こう一年間の無病息災を貞問する定期的な「歳貞」と「疾病貞」とに整理統合され、体系的な構造とシステムをもった卜筮祭祷習俗という一つの完成形態として成立した、と。そこでこのような卜筮祭祷習俗が如何なる意味で楚文化として固有なものであるかを検証するため、最近公刊されたばかりの上海楚簡「柬大王泊旱」との比較を行い、それに基づき次のような地域文化の捉え方のモデルを提示した。すなわち、一地域文化としての楚文化は、それを構成する個々の要素(パーツ)を見た場合、必ずしも楚に固有なものではなく、むしろ他の地域あるいはそれ以前の中国文化にみな見出されるものに過ぎない。しかし包山楚簡「卜筮祭祷簡」のように整然と体系化された習俗は他に見られぬものである。このように先秦社会に共通する個々のパーツを一定の文化圏の中で個性的に組み合わせて成立したものが"地域文化"であり、そのような地域文化の形成は王権の伸張と密接な関係がある。
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