本年度は初年度であるので、基礎的作業として、唐代の沙陀突厥に関する最もまとまった史料である『新唐書』沙陀伝のデータベース化と訳注作成作業を行った。『新唐書』沙陀伝は長文であるので、全文の訳注が完成した訳ではないが、訓読と関連史料の収集はほぼ目途がたった。また同時に、沙陀伝の記述を他の史料と照合する必要が当然ながら生じるのであるが、他史料の中でも、近年出土して拓本写真が公表された「李克用墓誌」は特に重要な情報を含んでいる。李克用とは、唐末期に現在の山西省北部に一大勢力を形成した沙陀突厥族の首領であり、同墓誌は彼の生涯を記したものである。一方、『新唐書』沙陀伝も後半部分は李克用の業績に記事が集中している。したがって、この両史料を比較検討することは、沙陀族の動向を分析する方法として極めて有効である。その括果、新たに得られた知見のうち、最も重要な点は次のとおりである。 『新唐書』は、沙陀族首領の世系を、唐中期(玄宗期)の史料に現れる人物から一系のものとして記しているが、これは墓誌と符合しない。この点は、より直接的な史料である墓誌の記載に依るべきであり、『新唐書』は乏しい史料ソースをつなぎ合わせ、宋代の歴史家にとって都合よく作為的に記述されたと考えられる。とすれば、さらにそのことは何を意味するであろうか。それは、沙陀突厥と称される種族は、何期かに分けて唐代中国に移住し、それらのうち山西省北部に集結した勢力を当時便宜上「沙陀」と呼んだにすぎないということである。佐陀突厥を考察する上で最も基礎的な種族の実態について、われわれは認識を新たにしなければならないのである。
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