本年度は、12世紀フランスにおけるビザンツ人のイメージ形成を探求する試みとして、クレチアン・ド・トロワ作の『クリジェス』を取り上げ、検討を行った。この作品の主題は、コンスタンティノープルの帝位を占める叔父と、彼の妃となったドイツ皇女、西欧出身の高貴な女性を母に持ち、帝位の正統な継承者としての地位を保持する甥の三角関係であるが、そうした物語は、クレチアンの他の作品と異なる極めて具体的な舞台設定と併せて、多くの研究者の関心を集め、しばしば同時代の国際政治がそこをこ投影されていたことを読み取ろうとする試みの対象になっている。とりわけ、十字軍運動を始めとして西欧諸国とビザンツ帝国との接触の頻度が増し、それに応じて相互の緊張関係も増大していった時期に、ビザンツの皇子を主人公として彼を極めて好意的に描き出した文学作品が、西欧(この場合は北フランス)で成立した背景を解明することがここでは重要な課題となった。考察の結果、主人公のクリジェスが好意的に描かれているのは、彼が西欧の価値観を受け入れ、西欧の優位性を認めている限りにおいてのことであったこと、そして真に主導権を握っていたのは西欧から輿入れしてきた皇妃の方であり、そこには道徳的に劣った東方を理性に優れる西方が指導し、正しい方向に導いてやるのだという西欧側のイデオロギーが色濃く反映されていたことが確認された。
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