8月におけるLSEおよびBritish Libraryにおける資料調査の結果、ウィリアム・テンプルに関して以下のような研究状況が判明した。1944年におけるテンプルの死後、特に大戦直後の福祉国家の成立時において、テンプルに関する伝記的研究を中心に膨大な文献が出版されていた。これらには、神学研究のみならず、テンプルの政治思想や政治活動全般についての研究が多数含まれており、戦後イギリスの福祉国家が現実に成立する過程で、テンプルの戦時期における諸活動が、教会関係者だけでなく研究者の幅広い関心を惹きつけたことが判明した。ロンドン調査で明らかになったもう一つの論点は、テンプルの活動の背景にあった教会関係者の幅広い活動である。テンプルは1924年の「キリスト教政治経済市民会議」(COPEC)や26年のゼネスト時の活動、さらには大主教就任直前のモールヴァン会議(1941年)など、大主教就任以前に様々な活動を通じて労働問題や社会問題に積極的に関わり、そのいずれにおいても指導的な役割を果たしていた。1940年代のテンプルの活躍の背景には、テンプル以外の国教会その他の多くの聖職者たちの幅広い運動や活動があったことが確認された。また、本年度の文献収集では、イギリス国教会の社会問題への取り組み、国教会内部の神学問題、キリスト教社会主義、教会と戦争問題などに関する文献を中心に収集した。 以上の調査・資料収集の過程で、第二次世界大戦中にテンプルはナチス・ドイツとの戦争を積極的支持し、ナチズムに対する反対論や、人種差別反対など、非常に多様で精力的な活動を展開し、戦後イギリス社会の多文化主義的な動きに対して積極的な関わりを持ったことが判明し、こちらの研究課題の重要性も明らかになった。
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