研究課題
基盤研究(C)
ウィリアム・テンプルは第二次世界大戦中、カンタベリー大主教として、BBCのラジオ放送や国教会の機関誌などを通じて、戦争遂行を国民一人ひとりに訴えたが、同時に、単純な反ドイツ感情や愛国主義には批判的で、ドイツ人民には同じキリスト教徒としての共感を示した。また、テンプルは、「戦争国家warfare state」に対する反対語として「福祉国家」の語を初めて使用した。本研究では、このウィリアム・テンプルの第一次および第二次世界大戦期における戦争認識をパンフレット類から分析し、彼の認識において戦争と社会改革とがどのような論理的つながりを有していたのかについて解明した。テンプルが一貫して訴えたのは、国家の道義性の問題であった。国家を構成するキリスト教徒の市民は戦争の際には「市民の義務」として戦場に赴く必要があり、命を捧げることになる。市民が命を捧げるこの国家は、キリスト教の道義性を決して免れない。この国家の道義性の確保こそが、20世紀においてイングランド教会が果たすべき重要な役割となった。そのためにはイングランド教会自身が戦争の中で自己改革を行わなければならず、また、教会は国家や議会から一定の自立を果たさなければならなかった。第一次世界大戦期の「悔悛と希望の国民伝道」、第二次世界大戦期のテンプルの様々な活動はそのような観点から理解されるべきであると結論づけた。また、第二次世界大戦末期においてテンプルは、「産業キリスト者協会」を通じて「教会は将来を展望する」運動を展開したが、それはロンドン・シティの経済活動に対しても道義的責任を求めた運動であった。このような活動の延長に、「福祉国家」が位置づけられたのではないだろうか。テンプルは、国家や国民を絶対視したナチスの国家体制に対して、道徳的・宗教的義務に拘束されたイギリス国家を対峙させようとしたのである。以上が本研究の成果である。テンプルが「福祉国家」を具体的にどのように提唱し、テンプルの運動が実際の「福祉国家」にどのような形で反映したのかに関する諸問題が、今後の課題として残った。
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愛媛大学法文学部論集(人文学科編) 20号
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The Bulletin of the Faculty of Law and Letters, Humanities No.20
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四国遍路と世界の巡礼 国際シンポジウム・プロシーディングズ
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Proceedings of the International Symposium on the Shikoku-Henro and the Pilgrimages in the World
愛媛大学法文学部論集(人文学科編) 17号
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四国遍路と世界の巡礼 国内シンポジウム・プロシーディングズ
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The Bulletin of the Faculty of Law and Letters, Humanities No.17
Proceedings of the National Symposium on the Shikoku-Henro and the Pilgrimages in the World