本年度は近世イングランドの政治的弱者である国教忌避者(Recusants)を魔女に関して個別の研究を行なった結果、以下のことが明らかになった。 まず国教忌避者について、彼らは1563年のトリエント公会議後、イングランド国教会の礼拝に欠席するという態度を取り始めたのであるが、実は国教会の礼拝に欠席するものは国教忌避者だけではなかった。特に1580年代以降、プロテスタント(ピューリタン)にも同じように欠席するものが出現した。しかし、1590年代に議会では国教忌避者(カトリック)とピューリタンの扱いについての区別が存在しなかったため、両者を一括して処理する法律を審議していた。ところが、審議過程を詳細に分析した結果、両者を区別しなければならないという主張が行なわれ2つの制定法に法案が分化する。つまり、1590年代初めにカトリックとピューリタンがそれぞれいかなるものであるか議論され、取り扱い方法の差が確立し、カトリックだけが移動制限を伴う弱者として議会で決定づけられたことが明らかとなった。 魔女についてはAthlone History of Witchcraftをもとに魔女研究の現状を確認した。魔女は社会的にも弱者であるが、当時の知的環境の中でさまざまな役割を果していたことが明らかになった。特に政治議論のテーマとしての魔女の生命が、実際の魔女裁判の終わりと関係する学説が注目を集めている。つまり、魔女の問題はまさに政治の問題であったと考えなければならないのであるが、ここにおいて国教忌避者も魔女も共に政治の問題として考察する基礎に達することができた。今後の2年間でさらに両者の関係がいかなるものであったかについて追求していきたいと考えている。
|