ブランデル家に関してHistorical Manuscripts Commissionの資料調査を行なうとともに、現存するプリースト・ホールのうち、ニコラス・オーエンが作成したと伝えられるHarvington CourtとBaddesley Clintonを実際に訪問し、立地条件などの地理的な環境を観察した。その結果、個々のレキューザンツに関する記述は少なくないものの、重要なレキューザンツであったブランデル家に関する記述が非常に少なく、ブランデル家が政治権力から排除されている様子が明らかになった。また、これらのプリースト・ホールはいずれも荒地の中の一軒家の状態で時間をかけて巧妙かつ念入りに作られていることがわかった。それゆえ、従来行なわれてきたような、これらは単にカトリック迫害の記念場所やカトリック司祭の隠れ場所との認識だけではまったくもって不十分である。すなわち、プリースト・ホールはレキューザンツのカトリック・コミュニティの中心であること、また彼らの集団性や組織性を顕著に示すものと考えなければならないだろう。 政治的弱者としてのレキューザンツと魔女を分けるものは、主としてこの集団性・組織性にあると考えられる。ともに国教強制の時代にカトリック対策との関わりで理解が可能であるが、両者は17世紀後半から末にかけての寛容政策のさなかに、政治的役割を終了した。 現代的な視座との関連で考察すると、宗教関連の政治的弱者を作らないようにするための鍵は、寛容政策に他ならないことを近世イングランドの本研究は明らかにしていると思う。
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