State Papers、Lansdowne MS.、Cotton MS.、Acts of the Privy Council、Chetham Society Old & New Series、Historical Manuscripts Commissionなどの資料調査を行ない、レキューザンツの典型例としてのWilliam Blundellに関する資料調査を行なった。あわせて、Blundell家の所在地であったランカスターのLittle Crosbyや現存するプリースト・ホールのHarvington CourtとBaddesley Clintonを実際に訪問し、立地条件などの地理的な環境を観察した。プリースト・ホールはレキューザンツのカトリック・コミュニティの中心であること、また彼らの集団性や組織性を顕著に示すものであり、従来考えられてきたような、単にカトリック迫害の遺物や記念碑、隠れ家ではない。カトリックは地域のなかで信仰の中心地形成に努力を続けたのである。政治的弱者としてのレキューザンツを魔女と分けるものは、集団性・組織性の違いである。 他方、魔女迫害もカトリック対策の文脈で検討しなければならない。魔女迫害を開始した1563年の魔術禁止法のねらいの1つがカトリック対策にあったこと、また魔女迫害の事実上の終了時点である17世紀末は寛容思想の拡充と同時期であったことが強調されねばならない。この時期は、Ian Bostridgeが指摘するように、信仰に関する寛容(国教会以外の信仰を認める)と、政治における政党が出現する時期である。政党の出現は政治や国家における分裂を承認するものであり、宗教改革により一体化した国家は、宗教の分野でも世俗の国家の分野でも、ともに内部に分裂を学むものとなった。レキューザンツも魔女もこの時期に弱者としての政治的役割を終えたのである。
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