イタリアの移民統計(1876〜1925)をもとにイタリアからフランスに向かった移民数を地域別に整理した結果、ピエモンテ、トスカーナ、ロンバルディアの順に多いことが明らかとなった。また、フランスの先行研究から、イタリア移民は20世紀前半のフランスにおいて、プロヴァンスなど南東部に多く在住していることが明らかとなった。他方、イタリアからフランスに向かった亡命者に関する先行研究から、ファシズム期にはトスカーナ出身者が数量的に最も多く、ピエモンテがそれに次ぐこと、亡命者の生活の拠点がフランス南東部とパリに集中していることが明らかになった。 以上の予備的な考察から、トスカーナ出身者でフランス南東部に在住した移民と亡命者に対象を限定し、事例研究を行うことにした。その最初の試みとして、2003年9月にローマの国立中央文書館(ACS)において「反政府活動者記録保管所(CPC)」の目録から、トスカーナ出身でフランスに在住することが記録された活動家=亡命者を抜き出す作業を行った。その結果、1893年のエグモルト事件において多くの被害者を出したコムーネ(市町村)から多くの亡命者が生まれており、経済的な移民と政治的な亡命者が同一の地域的基盤から生まれていることが明らかになった。 ついで、2004年3月のローマ国立中央文書館における調査では、フランスにおけるイタリア移民の政治的組織化に尽力した活動家=亡命者であるルイージ・カンポロンギ(トスカーナ州マッサ・カッラーラ県出身)に関するCPCの史料を閲覧した。その結果、彼が最初に亡命した1898年の時点では生活に困窮して職人層の移民たちに援助を受けたこと、ファシズム期には移民が多数居住する地方を巡回してファシズムに反対する講演活動を頻繁に行ったことなど、移民と亡命者の日常生活における具体的な関わりの一端を明らかにすることができた。
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