近現代における人の移動をめぐって、従来しばしば別個のものとして理解され研究されてきた「移民」と「亡命」が生活世界において隣接した関係にあることに着目し、イタリアにおいて最も多くの亡命者を生み出したファシズム期を中心に両者の生活世界における具体的な諸関係を明らかにすることを目的とした。最初に、統計的な史料により、イタリアからフランスへの移民はピエモンテ、トスカーナの出身者が多いこと、ファシズム期の亡命者もほぼ同じ地域から多数生じていること、フランスでの居住地は移民、亡命者ともフランス南東部とパリに集中していることを明らかにした。 ついで、フランスにおけるイタリア移民の政治的組織化に尽力した活動家=亡命者であるルイージ・カンポロンギ(トスカーナ地方マッサ・カッラーラ県出身)の生涯を概観し、活動内容を分析した。その結果、彼が最初に亡命した1898年の時点では生活に困窮して職人層の移民たちに援助を受けたこと、ファシズム期には移民が多数居住する地方を巡回してファシズムに反対する講演活動を頻繁に行ったことなど、移民と亡命者の日常生活における具体的な関わりの一端を明らかにした。 さらに、ローマの国立中央文書館に所蔵されている「反政府活動者記録CPC(Casellario Politico Centrale)」を史料として、ファシズム期に最も多くの亡命者を生んだ地域の一つであるピサ県からカルチナイアというコムーネ(市町村)を選出し、プロソポグラフィックな分析を行った。その結果、亡命者はファシズム政権成立直後にその時点で二十代の年齢で亡命した者が多く、大半が既存の移民コミュニティがあるアルル市とその周辺で農業に従事したこと、1920年代後半から1930年代前半にかけては多くが政治活動から遠ざかるが、1935年のエチオピア戦争を契機としてその中から再び政治活動に立ち戻り、移民コミュニティの政治的動員を図る人たちが現れたこと、などを明らかにした。
|