本課題では、前3千年紀最後の時期にメソポタミアを統一したウルの王権が支配下にある伝統的な都市に対してどのように関わったかを、支配下にあったウンマの文書から、1)王の神格化、2)ウル王のウンマにおける祭儀権、この2面から考察した。結果として、ウンマの伝統を尊重しつつ、その協カの下に祭儀を実施していたという結論を得た。この結果は、ウル第三王朝は中央集権的な国家体制を形成したという定説でなく、むしろ、研究代表者がシュメール王権の研究を続ける過程で得たシュメール諸都市に対するウル第三王朝の直接統治体制は未完成であるという説を補強するものである。 1)王の神格化ウル第三王朝の王は、初代ウルナンムを除いて、以後の4代の王が自らを神とした。王の神格化は絶大な権力を持つ王の登場として理解されている。しかし、ウンマ文書から明らかになるのは、神たる王は、ウンマ側が期待するウンマの平安と豊読を見守る守護神(flama)であり、ウルの王が理想とする君臨する王として神殿からウンマを統御し支配する王ではない。 2)ウル王のウンマにおける祭儀権ウンマの祭儀の根幹に触れるほど重要な王の行為である「王の供犠」をウンマ文書から検証すると、「王の供儀」を中核としたウンマの諸祭儀の組み替えが見られるにしても、ウルの王が都市の伝統を破壊して、中央集権的で画一化した祭儀を押しつけることはない。あくまでも、ウンマ側の協力のもとに祭儀権を行使するのが基本という特徴が指摘できる。
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