研究課題
基盤研究(C)
酉洋中世における職人たちの団結した運動の開始や展開は、14世紀のツンフト市制成立と直接関連しない。職人組合成立には、ペスト大流行前後の人口減少からくる遍歴ネットワーク・システムの設立、病気や貧窮仲間の相互扶助、賃銀引上げを実現するためという複合的な理由を見出さねばならない。14世紀中葉から15世紀中葉にかけて、親方や都市公権力は職人組合を公認しようとはしなかった。そのうち遍歴職人に到来・出立の盃を与え、在地の職人組合に加入するさいに飲食の無償供与を行う職種が発達した。こうした職種がシェンク手工業であり、輸出産業で、職人労働力が必須で、高い技能が求められる職種であった。15世紀中葉以降、親方や都市は、職人におされ、シェンク手工業の諸権利を公認するようになってゆく。1530年、1548年、1577年の帝国警察条令による帝国の介入を経て、1620年代頃からドイツ職人たちは伝統的な職斡旋・無償供与・裁判権を復活させた。その点は、1672年帝国決定が16世紀帝国警察条令とほぼ同内容で職人自治の制限を試みても不可能であった。ただし、無償供与は若干の変質をみた。具体釣には、到来の盃は「夜の飲食」に姿を変え、出立の盃は17世紀後半以降除々に即物的な路銀に変化していった。ドイツ手工業者自身がつくりあげた「手工業の名誉」という概念は、1500年頃成立した。職人が名誉に大きく関与したのは、親方と共同で裁判を開いたシェンク手工業である。職人たちは親方よりも熱心に、「同職組合の名誉」を守ろうとした、それは、「同職組合の閉鎖」という経済的原因によるのではなく、社会的要因による。すなわち、彼らが手工業の名誉に拘ったのは、それが都市上層や下層ないし賎民と区別する、あるいは対抗する倫理規範だったからである。
すべて 2005 2004
すべて 雑誌論文 (8件)
早稲田大学大学院教育学研究科紀要 15
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Bulletin of the Graduate School of Education of Waseda university No.15
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