ジャクソニアン期に入ると、社会改革運動をめざす多くの連帯が生まれた。こうした連帯活動は、老若男女を問わず、身近な集会から連邦レベルの運動まで、多岐にわたるものであったが、そうした社会改革運動の矛先は、東部の都市部では貧困の撲滅に向けられ、特に路上にたむろする貧窮児童は、目に見える深刻な存在と受け止められた。子どもを救済する施設も創設されたが、子どもは施設収容では救済されないという人々が現れた。特に、1850年代になると、子どもを施設から解き放つべきだとする声が大きくなり始めたが、その児童救済を指導し、全国的に模範とされたのが、本研究の主体であるチャールズ・L・プレイスと彼の創設したニューヨーク児童援助協会である。この事業は孤児列車と呼ばれるが、ニューヨーク児童援助協会のネットワークによって西部に委託された子どもの数は、彼らが孤児列車を実施した約80年の間に、ニューヨークから出発したものだけでも、約20万人に上る。 本研究では、児童救済、特に孤児列車を救済することで、19世紀のアメリカン・ナショナリズムを検証したが、東部におけるアメリカ的な慈善観や家族観を西部に移植し、孤児を通してアメリカン・ナショナリズムの一体化を試みたものであった。具体的には、「孤児列車」を通して、19世紀ナショナリズムが表出した諸相を検証したが、極めて多岐にわたるものとなった。その理由は、「孤児列車」が時代の縮図であり、多面的複層的なものであるからである。例えば、孤児列車は、社会福祉前史研究であり、子どもの歴史、あるいは子ども観の歴史であり、家族の歴史である。また、女性の歴史でもあり、移民史・民族関係史の一こまでもある。さらに、東部あるいは西部の都市政策史であり、東部、西部を問わず、コミュニティの歴史であり、支援した人々の社会的ネットワークの歴史でもある。また、なによりも子どもの労働移動の歴史であったからである。 本研究では、こうした多岐にわたる諸相で、子どもの位置づけ、福祉の意味、連帯や社会的ネットワークの分析をし、アメリカン・ナショナリズムと広義の意味での土地イデオロギーと土地所有の問題があることを見出した。
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