研究概要 |
カペー朝が権力を確立していく11世紀末から12世紀にかけてカロリング的国家理念は完全に消滅したが,奇妙なことにこの時期には武勲詩や歴史物語を通じてシャルルマーニュ伝説が多数創出された。サン=ドニ修道院はカペー王権のイデオローグとして,この一連の過程に深い関わりを有した。とりわけ修道院が宝蔵するキリスト受難の聖遺物(聖釘と荊冠)の由来をシャルルマーニュの東方遠征と結びつける伝説的物語を初めとして,813年にシャルルマーニュがサン=ドニのために与えたとされる偽証書や偽チュルパン年代記など,いずれもサン=ドニにおいて作成されたものである。しかも,これらは法外な内容にもかかわらず現実に絶大な効果を発揮したのである。由来をシャルルマーニュに求めることによってサン=ドニ修道院は所有する聖遺物の信憑性を高め,もって修道院の権威の高揚と財政収入の増大を図ろうとしたことは明瞭であるが,しかし,これらの一連の作業が修道院の独断でなされたとは考えにくい。シャルルマーニュを理想化・象徴化することで,ドイツ帝権から独立したフランス王権の権威を確立しようとするカペー王家側の意図をそこに見るべきであろう。とりわけ当該期に国主の側近にあって王権の実質を成した者たち(familia regis)の意識と行動こそが問われなければならない。彼らの多くは反グレゴリウス主義者であった。 このような観点から,15年度は資料の収集に努める傍ら,サン=ドニ修道院におけるシャルルマーニュ伝説の創作活動について研究した。
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