本研究においては、大きく分けて2つの具体的な課題に取り組んだ。第1の課題は、京都大学考古学研究室に残された、朝鮮総督府古蹟調査関連資料の再整理である。今回は、それらの中でも、浜田耕作・梅原末治による最初の調査となった、1918年の星州・高霊・昌寧地域における発掘調査に関連する資料の整理を集中的におこなった。まず、現存する実測図・写真類の目録を作成した。そして、東洋文庫の梅原考古資料に残されている梅原末治の野帳や、報告書との比較をおこなって、京都大学所蔵資料の性格を明らかにすると共に、当時の調査・整理過程の復元を試みた。さらに、同時期の日本における調査技術のレベルとの比較をおこなうことにより、1918年の朝鮮半島での調査体験を契機として、京都帝国大学考古学研究室における調査技術や報告書のレベルが大きく向上し、その後の日本考古学における調査技術の発展にも大きな影響を与えたことを明らかにした。 第2の課題は、1930年代に活動をおこなったアマチュア考古学者達の研究会である釜山考古会の検討である。今回は、先行研究では知られていなかった、『釜山日報』に掲載された釜山考古会関連記事を可能な限り集成し、重要な記事については翻刻をおこなった。これらの新出資料の分析により、釜山考古会が、独自に古蹟の顕彰や、考古資料の展覧会をおこない、さらに釜山における博物館建設運動にも深く関わっていたことを明らかにした。これまで、植民地朝鮮におけるアマチュア考古学者の活動は、ほとんど評価されてこなかった。しかし、今回の研究を通して、当時の考古学研究における彼らの活動の重要性を再認識することができた。
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